Title:Untitled
Size:Unknown
Date:Unknown
季節は手品使いのように、冬枯れの梢(こずえ)にふんわりと霧のベールをかぶせ、やがてそこからヒョイと新緑を取り出して見せる。
一方〝母なる大地〟では、ぬくもりの増した黒土をやんわりと持ち上げて、草の芽が萌え、虫たちが躍動し始める。
いわゆる〝春の到来〟というわけで、無限の過去から永遠の未来にわたってくりかえされる自然・万物の営みー〝自生自化〟の一コマである。
草の芽が地面から顔を出すのをヒトにたとえると、それは〝乳児誕生〟ということになると思うが、そもそも人が誕生するということ自体、言うまでもなく尊厳なことに違いない。
ただ〝誕〟という字を辞書で引いてみると、生まれるという意味の他に、偽る・欺く・嘘・でたらめを言うなどとあって、その尊厳さと裏腹に、ひどく醜い言葉が同席していることに驚かされる。
同時に、例えば国会答弁などに見られる、証人らの歯切れの悪い応答ぶりでもわかるように、〝誕〟の一字がいみじくも予言しているヒトの心のもろさ、弱さに気づいて身震いするのである。
日常の身近な約束事にしても、理由を告げず破棄してすまし顔といったことは、もう通常のこととなりつつある。
「山中の賊を破るは優しくも、心中の属を破るは難し」という王陽明の教訓が、いま、この一字にまざまざと蘇るのである。
四月からとかく批判の多い新税も誕生する。平成元年の春は〝誕〟という字の〝怖さ〟が身にしみて、一円玉が踊り出す〝変な春〟となるのだろう。